ふぞろいの林檎たちⅢ(一部のみ)

 インサイターさんでやると見たのがもう放送開始時間後。あわてて飛ばし飛ばし見ること出来ました。ミルコと出来たわけではありません。当然のようにリアルタイムで見ていたので、懐かしさでいっぱい。インサイターさんで一郎さんが「かなり寓話的な作りだったと記憶している」と書いてらっしゃるのはおっしゃるとおり。一郎さんも指摘されているように、これは、バブルそのものがテーマなので、山田太一がバブル自体の寓話性を表現するためにこういうお話にしたんでしょうね。しかし、山田太一は基本的にファンタジーの作家(小説の方によく出る)だともいえるので地が出ちゃったということかも。(同様の雰囲気はⅣのラスト近くの円陣のシーンにも見られる)

 興味深かったのは、すっかり記憶から抜け落ちてた場面ですが、最終話の最後に林檎たち(−晴江)+晴江の元?亭主(柄本明)が『自分と向き合うのから逃げている』という点で意気投合するところ。昨今の自分探しとは真逆なスタンスで、これもバブルってことかしらと感じました。