世界の中心で、愛をさけぶ 第十一回(最終回)(2004/09/10OA)

 レビューを飛ばした第十回の感想を織り交ぜながら。

 最後に朔太郎の名前を呼びながら安らかに息を引き取った亜紀の残したメッセージと朔太郎が亜紀の死をどう捉えて17年生きてきたか、そして、それにどう決着をつけて、これから生きていこうとしているのかを描く最終回。

 いろいろ思うことはありますが、ランダムに。

 最終回で回想の中の亜紀が後ろから朔太郎を振り向かせる際にほっぺに人差し指をめりこまさせるシーンが何回か出てきました。私の記憶では、第十回で朔太郎が最後の旅に迎えに来たシーンだけ、亜紀はこの手を使っていません。精神的余裕のなさの象徴というか、特別なシーンであるということを印象付ける、いい演出だと感じ入りました。

 もやもやとしている、こちらの思いを代弁してくれたのが「送ってやることすらできないのか!」という潤一郎の台詞。その言葉の精一杯の反映があの小瓶だったわけですね。亜紀との思い出ではなく、亜紀がが死んだということをいつでも思い出せるように、そして夢で亜紀に会えても、現実には亜紀はもういないんだということを、刻み付けるようなアイテムだったんですね。しかし、このこと自体が死者との対話から逃れられなくしていた、現実での歩みにブレーキをかけていたということでしょう。その呪縛を解いたのは、やはり亜紀。遺された絵本−最後のページで亜紀がホイッスルを吹き、がんばれと励ます−を読んで、ようやく朔太郎は自分が走り続けなければいけないんだと悟る。この絵本、「生きていくあなたへ」なんだから、朔太郎に遺されたものだということは明白ですが、亡くなってすぐにはこの内容が受け止められないだろうし、亜紀の父の判断は正しかった(しかし17年はどうよ)と見るべきでしょう。

 ラストシーン。走り終えた(生涯を全うした)朔太郎にお決まりの振り向かせ方でいたずらっぽく笑う亜紀。そして海に向かって立つシーンの美しいこと。肌色も、空の色もベストな感じでため息が出るくらい。

 エンディングで廣瀬夫妻が突堤でお弁当を食べるシーン。ラス前からのクリームコロッケが効いてます。食べ物って偉大だと感じさせる名シーン。

 せっかく長いドラマなんだから、同級生の現代パートも描いてくれないのは残念と思っていたら最後に少しだけ出て、ホッ。これくらいにしといたほうが余韻が残って良いですよね。

 ツッコミを少し。妻が目ざとく見つけたんだけど、龍之介はともかくとして、ボウズにまでピアスの穴があるのはいかがなものか?(しかも龍之介より多い3つ)。時代背景や寺の息子ということを考えると興ざめっす。ドーランとかで埋められないのかね。
 読売新聞の夕刊で「あくまで正攻法で取り組む」という趣旨の堤さんのインタビューが載ってましたが、その言葉通りの力作だったと思います。「誰が撮ったかを意識させないこと」を目指している(うろ覚え)といったような受け答えもありましたが、広角レンズやクレーンの使い方などはっとするような演出をさりげなく溶け込ませる手法は堤さんならではだと思いますよ。

 ここまで凄絶な演技をやり遂げた綾瀬はるかが、この後どういった役を演じられるかが見もの。難しいよなぁ。