オレンジデイズ 第十一回(最終回)

 はとこと結婚しようとしていた沙絵が、ドイツ行き直前に見た櫂と真帆の姿を誤解していたことに気づき、やはり、自分にとって櫂はなくてはならない存在であることを、周りの人々の優しさにも助けられながら再確認してハッピーエンドに落着する回。

 全体を通して、「愛していると言ってくれ」との類似性を嫌でも感じてしまった回でした。
 まず、櫂たちが勢いで指輪を買いに行ったところを、指輪の直しに来ていた沙絵が偶然道の向こうから見かけ、思わず、「櫂ーっ」と叫ぶシーン。これはもう、せっぱ詰まった感情を表出するのに、しゃべれない(しゃべらない)人が声を出してしまう、という点で「愛している・・・」のホームで叫ぶトヨエツと同じ手です。こっちはわかっていてもはっとしてはしまいますが、同じ手を二度使うのは少し恥ずかしいのでは?

 また、ラスト近く、沙絵が一生懸命オレンジをもごうとしている姿も「愛している・・・」のりんごと同じ構図ですね。道端の果物(人んちの)をとるという行為に北川先生は何か執着があるんでしょうか?確か、「愛している・・・」のときは初回に出会いのシーンとして出て、最終回にはかなり印象的に(半ば必然として)りんごをもぐシーンが使われたと記憶しています。そもそも、オレンジが象徴しているものが曖昧な(というか北川先生の思い入れについていけない)このドラマで、オレンジの木の下での再開を必然のように見せられても、とても記憶に残るようなものにはなりません。

 翔平の妹はお母さんのところに行ってしまったのでしょうか?チベットから帰ってきても、啓太のところや茜のところに行きっぱなしのところを見る限り、きっとそうなんでしょうが、あまりにも説明不足では無いでしょうか?

 ドイツで手術を受け、どのくらい聞こえるようになったかという描写もなし。手紙の○の謎解きも曖昧なままで、相変わらずドライブがかかりっぱなしでいろんなことを放りっぱなしの感が強いです。

 ラストにちゃっかり同棲している雰囲気の二人が。そこで再び沙絵にしゃべらせますが、ちょっと蛇足気味な感じを受けました。櫂のリアクションもオーバーすぎませんか?

 全部見ちゃってから、「これは40歳過ぎた人間が見ちゃいけないドラマだったのでは?」と思ってしまいました。きっと、櫂や沙絵と同世代の人にはいいドラマだと思えるんだろうし、「愛している・・・」と同様に記憶に残るドラマになったんでしょうね。(そうは思えないけど)

 北川先生には余計な野望を持たず、恋愛一直線なドラマでまたお目にかかりたいと思います。

 (追記)卒業式のシーンで引いたところで撮られた白石美帆は松本明子かと思った。かねてから白石美帆≒松本明子説を唱える私ですが、カメラに拍手を送りたいシーンでした。

 (追記2)「日常の闇にさす一筋の光」って、これから作業療法士として希望あふれる若い男の言うことかね?そんな暗い日常なら脱出しろと(後略)