砂の器 第十一回(最終回)

 前回に引き続き、今西が和賀の過去を語る捜査会議と「宿命」演奏会が並行して進行する。亀嵩で三木巡査に保護された本浦千代吉・秀夫親子。千代吉は偽名を語るがほどなく身分が知れてしまう。三木は千代吉が極悪人ではないと信じ、秀夫の面倒は自分が見るといい、出頭を促す。亀嵩で出頭すれば残された秀夫に影響があると、大阪で出頭させるべく亀嵩駅から汽車に乗ろうとするとき、学校から飛び出した秀夫が追ってくる。「何か言ってやれ」という三木の言葉に、千代吉は振り絞るような笑顔しか見せられない。三木の思慮も甲斐なく、秀夫のことは村人の知るところとなり、秀夫は学校でいじめにあう。三木は、秀夫に「背負っていかなければならない宿命だから、がんばるしかない。がんばって生きていけば、いつか本当の春が来る。」と諭すようにいう。しかし三木の想像以上に辛い目にあってきた秀夫は、ここも自分の居場所ではないと思ってか、ある朝、三木の元から失踪する。それから約二年後、長崎で「タケシ」として保護された秀夫は、ピアノが好きだった和賀少年と友人になる。しかし、それもつかの間、長崎の水害で和賀少年はこの世を去る。和賀少年を探しにきた秀夫は、亡くなった和賀少年を発見する。そのとき、秀夫の中の何かが衝き動かし、この日から、秀夫は和賀英了としての人生を歩み始める。そういった悲しい背景と、和賀の犯した罪は峻別されるべきであり、法の下で裁かれるべきと、今西はコンサート会場へ向かう。演奏を終え、万雷の拍手でたたえられる和賀。舞台袖で待つ今西たち。和賀は、ピアニカを手にとり、今西に従う。察知し、追ってきたあさみに精一杯の笑みをかえし、和賀は車上の人に。車は医療刑務所に向かい、和賀は秀夫に戻り、千代吉と再会する。すべてを千代吉に吐露し、崩れ落ちる秀夫。千代吉も秀夫に謝罪し、手を差し伸べ、「秀夫の手だ」と静かに涙を流す。という回。

 すばらしい最終回だったと思います。それだけに、3/23の日記で指摘したように冗長な連続ドラマでの制作になってしまったことが悔やまれます。

 特筆すべきは、原田芳雄の存在感でしょう。映画版の加藤嘉もよかったですが原田芳雄の「知らねぇ」も親としての情愛のにじみ出た名セリフになっていたと思います。また、ホームでのまさに振り絞るような笑顔とか、秀夫と再会して流す涙とか、すばらしいの一言。秀夫との再会シーンではどうしてもっと原田芳雄を映さないのかジレンマを感じたほどです。

 エンドクレジットの後のピアニカを吹くシーンは要らなかったのではないでしょうか?ちょっと蛇足気味に感じました。

 張った伏線じみたことが解決されていないのも、このドラマの迷いを感じるところ。今西が幼少のころ誘拐された事の意味は?今西の父との関係と本浦親子の情をもう少し関係付けたほうがよかったのでは?とか、見直すといくつかあると思います。

 DVDで特典にロケ地紹介があるとクリック率が増す予感。