タイガー&ドラゴン 第九回

 うっかりもので反省というものがない「動物」ヤスオが世話になっている組の金を使い込み追われるさまを、「粗忽長屋」の筋とシンクロさせて描く回。

 先週以上にバイオレンスタッチ。今回はコメディの割合が少なく、見ていて肩が凝りました。割合が少ないというよりは考えオチ的なものが多かったのかもしれません。

 ヤスオが「粗忽長屋」の筋をヒントに一芝居打とうとするあたりは新趣向。その芝居では誰も死なない、割とのんきなアイディアなんだけど、現実(落語では「フィクション」)の方は死人も出るビターな結末というのも、かなりシニカルな感じがします。しかし、芝居の話では虎児が「今では死んで悲しむ人がいる」といい、ヤスオにさえもこっそり送金している心中の生き残りの子がいるのに、哲也の死についてはかなりドライなのは違和感がありました。すっと流すべき部分かもしれないけど、人の生き死にの話なので気になるところです。

 私は元の「粗忽長屋」はずっと幽体離脱の話だと思ってたんですが、考えてみれば双方肉体がある(からこそ「抱いている俺は・・・」というセリフがある)んですよね。だから、八の思い込みと熊の自覚の弱さという対照的な粗忽ぶりが荒唐無稽すれすれの線で古典としての噺を成立させてるんでしょうね。それでも集団霊視という極めてシュールな見方もできる(私はこっちの方が好み)でしょうが、無理があるかなぁ。(さげのあとに、「あっ」とかいって抱いている方の熊が消えてしまうという二段オチ)

 で、今回のさげでヤスオがああいったのは、「(確かにやくざとしての)俺を今担いでいるわけだけど、じゃあ担いでいる俺(のこれからあるべき自分っていうの)は誰なんだい。」という、ヤスオにとってのやくざじゃない自分の自我の目覚めだったんじゃないかという見方も可能かと思います。(読みすぎかしら)

 クドカンの不親切ぶりも極まってきた感じで、かなり説明をはしょってるのでスペシャル見てない人には話が見えづらくて辛かったかもしれないなぁ。DVD買えってことですか。

 次週は「品川心中」。女郎が客を騙すというところでは「三枚起請」と重なるイメージもあるんですがどういう料理をしてくれるんでしょうか?めぐみの前夫も出てきてたんでこのあたりが鍵かしら。